障がい福祉、特に知的障がいのある人を支援している方はよくご存じではないかと思うのですが、知的障がいのある当事者として初の国連障害者権利委員となった、NZのローバート・マーティン卿が5月1日に亡くなりました。
昨年10月に日本を訪れピープルファーストの大阪大会など会合に参加されていました。また、障害者権利条約の対日審査にも携わっていて、未だ日本が脱施設化されていないことやグループホームを地域生活とすることへの疑問を述べておられました。
IHCのHPの訃報の内容です。
知的障害者の先駆的擁護者に別れを告げる
2024年5月1日
ロバート・マーティン卿は、知的障害者の権利を生涯にわたって擁護し、知的障害のあるニュージーランド人として初めてナイトの称号を授与されましたが、ワンガヌイで亡くなりました。
出生時に脳に損傷があると診断されたロバート卿は、30年以上にわたって学習障害を持つ人々のためのセルフアドボカシー運動に関わってきました。
また、IHCが設立した全国的な障害者団体であるピープル・ファースト・ニュージーランド(ガー タンガタ トゥアタヒ マオリ語)の終身会員でもありました。
2017年に知的障害者として初めて国連人権条約機関のメンバーに選出され、2018年には国連会期内の会議で当事者として初めて会議の議長を務めました。さらに、インクルージョン・インターナショナルでも役職を歴任し、1991年から2010年まではIHCニュージーランドのニュージーランド・セルフ・アドボカシー・アドバイザー兼トレーナーを務めました。
幼少期は施設で過ごし、ロバート卿は最も劣悪な施設で一緒に暮らした人々の存在を感じたと言います。
「彼らが私にとって本当に大切な人たちだから私は行動するのです。私は、自分のルーツを忘れたことは一度もありません。」
2019年11月、ロバート卿は王立調査委員会に、自身の虐待体験と、自分が何者でもないと感じさせられた経緯について証言しました。
IHCのラルフ・ジョーンズ最高経営責任者(CEO)は、ロバート卿の地域社会への貢献は比類のないものだったと述べています。
「私はロバート卿を長年知っており、彼の功績は目覚ましいものでした。私たちは、インクルージョン・インターナショナル評議会で長年一緒に奉仕してきました。彼は、ニュージーランドと海外の障害者の生活に大きな変化をもたらしました。これは信じられないほどすばらしい彼の遺産です」
ロバート卿は亡くなり、妻のリンダが残されました。
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